かみさま

かみさま のように思える人がいること
それが凄いと友人は言いました。
そうか。
そうかもしれない。
私のことを 神 だと言ってくれる、ありがたすぎる友人には
神らしくふるまって小芝居で遊んでもらっているけれど。

私にもいた。

今日は、かみさま に電話をした。
おそれ多くて、
ほいほい電話が出来るわけもなく、
しなきゃしなきゃと思いながら遠ざかり、
手紙を書こうと、選んだ便せんばかりが溜まり。
そんな言い訳をだらだら言ったら、

いいんです、そんなことは。
きもちは伝わってきているのですから。

と答えた。
伝わってた....

私を理解し、叱咤し、激励し、、
時には、褒めてもくださり、
ともに大笑いし、
生きることの原点にあるようなことや、
喜怒哀楽のこと、その延長も隙間も、
からだで教示してくれる人。


とにかく元気なのかしらと思って。

とおっしゃるので、
実は、柄にもなく元気でもないことを
まただらだらと話したら、、

まりちゃん。
しっかりしてください。

と きっぱり。

そして、やはり かみさま の考えを聴いていたら、
側でお仕えしたくなってしまうのです。


過渡期にきていると思って。

とおっしゃるので、
やはり感じずにはいられない年齢のこととか、
そこに付随するもろもろのことを、
まただらだらと言ったら、

いえ、そういうことではなくて。

と。

表現することにおいて、
いちばん良いときなんですよ。

...............。

実際のところ、
なんだか すこしエネルギーが弱いんだな と  
すこし疲れてしまったんだ と思っている。
そんなときもあるか とも 思いつつ、 
無駄な動揺にエネルギーを奪われないように
こころの視線を動かさず、
満たされる ような思いを改めて感じて、
そういうのもいいよな と思えたり。


過渡期。
たしかに。
半世紀の地点が折り返しというわけではないにしても、
やはり、 今 は結構面白いときなんだろう。
そういうことではなくて は、
そういうことだからこそ でもあるんだろう。


11日。南相馬へ行く。
重く受け止めつつの日々。
使命のようなものを、
こんな末端にいる私にさえ託されているのだとしたら、
それは本当に、本当に、どれだけのことが起こってしまったのかと....
改めて思う。
音霊の神秘に、身も心も声も委ねて、
ただひたすらに、
無駄に こころ の視線を動かさず、
そこに出来る限りの祈りを集めて...


この事と かみさま の話は、
全然、別のところにあったのに、
しゅーーっと1つに重なって
頭ん中が、さーーーっと整列した。
余分なものが涙になってポロポロ落ちた。
渋谷の片隅で、そんなことが起こった。
春物の服で、ショップが眩しい中で。

かみさま からの指令は、
実現するかわからない。
実現したいような気はするけど、
想いとからだがまだ離れ離れ。
無理矢理近づける元気が、まだ出てこない。

それでも。

かみさま がいること

それがまず凄いことだ と
今日は、 こころ が、ふるえました。

« げー | 3/11 谷川賢作+makoring @南相馬 »

コメントを投稿

Recent Sche-che

Recent D-D-D-D

Recent I'm tarr

CD

Podcast

Podcast

iTunesなどのPodcastingに対応したアプリケーションにこのバナーをドラッグ&ドロップしてください

my space

my space music

こちらで楽曲の試聴ができます

makoring mobile

QRコード
携帯はこちらから

Powered by
Movable Type 3.35