踊った。。。ら、しい、、、。。。
緞帳がしまった時、踊り手全員、号泣状態。30年近く在籍してるベテラン団員でさえ大泣きなんだから。
自分の一生の中で、どれだけの人に出逢い、何ができるのか解らなくて、、そのなかで、できるだけ『やれるはずだったのに』って事を減らしたいわけだけど、いろんな条件が整わなければやりたい事も夢以下で。そう思えば、私のこの5ヶ月間は貴重な時間だったのだと心から思います。
来ちゃって、本当にやっちゃいました。。。
最後、先生が動いてるか動いてないか解らないくらいの速度で進んでいるところに、ダンサーひとりひとりが風に押されるように転がりながら出て来て、それぞれのドラマを身体で奏でながら立ち上がり、そして歩き出し、先生をぬかしていく。
私は、先生のものすごい近くを通り過ぎていくポジションにいて、、だから先生をぬかす瞬間、もう言葉には出来ない気持になった。
ゆっくり一歩一歩歩いた。
早くは歩けなかった。
こうして、人は、一歩一歩、歩くのだなぁと思った 。。間違いなく『死』に向って。
先生への感謝、いただいた事、だからといって留まる事は不可能、、みんな進んでいる。生まれてしまったからには、何が有ろうと死までの時間を、、後悔してやり直す事があったとしても、時間だけは確実に過ぎていて、、後ろに進むという事はありえない、、やっぱりこうして進んでいくしかないのだと思った。
先生もそうやってこの大地を一歩一歩踏み締めていらっしゃるのだ。生まれてしまったその肉体を使うだけ使って。
だから、動きでの『一歩』に「どういう生き方をしてきたのか」と先生はレッスンで問いかけるのだと思いました。踊り方の手ほどきよりも、あなたの人生を見せなさいと言われる事の方が多かった。「踊りなさい」「存分に踊って下さい」という言葉は「存分に生きなさい」というメッセージなのかもしれないと思いました。
1/31、マンダラであんなに幸せなライブを終えて、あれが今年の事だったなんて。あの日の私がどれだけの人の記憶に残っているかわからない。あの日の私と今日の日の私を観て下さった人は親も入れて、たったの3人かな。東京から来て下さった方もいた。本当に縁のある人達なのだなぁと思いました。たくさんの応援メッセージも届きました。
『青空の階段』という曲を今、急に思い出した。。。。。